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2010年10月09日

ご心配お掛けしました…










久しぶりのブログ更新です(^-^)



母は、10月2日、20時37分、病院で、静かに逝きました。



皆様からの暖かい励ましのお言葉やメール、また、ご心配いただいた事、本当に心から感謝致します。m(_ _)m



今回の入院は、10日あまり。


肝臓の上部にある胆管の管の辺りにできた癌で管が詰まり、老廃物を流せなくなるという症状でした。


自覚症状がなく、発見しにくい部位なので、母の場合、10年以上前からあったそうです。



最初に入院した時から、もう手遅れと言われていました。


そのまま病院で亡くなる可能性も高い…と…


今年1月でした。

私は、入院中、できる限りの事をし、医療との相乗効果で、3月には、食事も普通にできるようになり、退院できました。


…それから6月に入院するまで、母は花見や、散歩や、デイサービスで歌を歌って楽しく過ごしました(^-^)


認知症もありましたが、私や家族の認識ができ、いつも優しく、ニコニコ笑っていました。


介護以外は、手の掛からない優等生の患者で、みんな、このまま病気が治るのか!?
と思った程でした!

母は、毎日、父に散歩に連れて行って貰い 愛犬と共に楽しい毎日を送っていました。


…忘れた頃に、発熱。

再び、6月に入院。
この時も、奇跡的に二週間程で復帰しました。



また、家で近所の人達と楽しく過ごしたり、再びデイサービスに通う事ができました。(^-^)

お友達もでき、最後に入院した時は、


「早く元気になって、帰ってきてね」

と、手作りのペーパーフラワーを戴きました。


9月21日、三度目の入院。

この間、食事は取れず、点滴だけでしたが、母が好きだった歌を唄ってあげると喜び、帰る時も無理を言わず、相変わらず優等生の母でした。


…けれど、
入院、三日目。
点滴内容物が合わなかったのか!?

急変!
お見舞いに行った時は、観察室に入れられていました。


ここに入ったら、もう覚悟しないといけないな…

私は、もう構わず、プレートを何枚も、入るだけ母のベッドに敷き詰めました!

オシッコがなかなかでず、尿毒症を起こしたらおしまいなので、母の大事なところにも置きました。


…顔は苦しさで歪み、死相が漂っていました…


弟にも会いに来るよう連絡。

「今度こそ、もう駄目かもしれやんで」とみんな覚悟を決めました!


点滴も止め、酸素を鼻から注入。

私達が居る間にも、三回も大量の吐血をした母の顔は、一気に老婆のようになりました。


プレートを置いて暫くして、母は、大あくびを三回しました。


ああ‥脳に酸素を送っているな…


少し、唇は湿らせてもいいとお許しが出たので、綿棒のデカいので、唇を湿らせていると、母はその棒を噛んで、染み出た水を飲みました!

「スゴい!
お母さん、生きようとしてるんやな。」


心の中で、もうしんどいなら逝ってもいいよ…って思った事恥じました!


それから、母は、また血色を取り戻し、少し元気になり、オシッコも良く出るようになりました。



主治医も、元気を取り戻した母の点滴を見直し、カリウムが入った一般的な点滴では、母の心臓に負担がかかり、カリウム数値も5 と、7まで上がると心停止を起こす状態だったので、点滴も母に合った物に変えてくれました。


こうして、母は、まだ予断は許せないものの、一般個室に移りました。

それから、一週間程なんとか命を繋ぎ、私達家族や身内の人達に逢い暫く時を過ごしていました。


10月2日、夜中、病院からの電話でみんな駆けつけました!

また、多量の吐血をし 苦しそうでした。


その日は、土曜日で母の周りに子供、その妻子、孫達全員、集まる事ができました。(^-^)


母は、幸せだったと思います。


みんなに見守られながら、永遠の眠りについたその顔は、苦しさなく、少し開いた唇が微笑んでいるようでした…
  


Posted by 梓ママ at 16:59Comments(18)