< 2010年10>
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


2010年10月10日

化粧








女性は、最後の瞬間まで、美しく輝いていたい!


誰もがそう願っていると思います。



私が母に最後にしてあげられる事、母を綺麗に輝かせる事…


まず、シナジーを顔全体に付け、肌ストレスを取り、化粧水、クリーム、ファンデーション、白粉…
と生きている時と同じようにお化粧していきました。


チーク、アイシャドーは明るいピンクに
(^-^)

口紅も母が好んだ明るい赤(^-^)…


を塗っていると…

父が横から

「ちょっと赤すぎやないか?」と言って、弟も「お姉ちゃん、やりすぎやで。」



「ええのええの♪
お花に囲まれた時に映えるんよ〜(^▽^)」


お母さん、綺麗な顔、笑ってるみたいやよ(^-^)


お写真もいいの選んであげてな!

最近の写真は、母らしくないので、62歳位の母の写真にしたので、余計 化粧担当の私の腕の見せ処です!



緊張の取れた母の顔は、本当に昔のように綺麗でした!


これは、神様からの贈り物やろな〜

と思った程で、最後のお別れに来てくれた近所の人達も

「ほんまに綺麗で眠っているようやね」と言ってくれました。


納棺の義には、
まるで、映画を見ているような送り人の手さばきに見とれていました!

車を仕立て葬儀場へ。

通夜やお葬式には、たくさんの方々が、参列して下さいました。

2日共参って下さった方も多く、本当に心から感謝致しました!


お知らせもしていないのに、私の同級生や幼なじみまで!

どこで聞いてくれたのか?
驚きと感謝で涙が溢れました…


それから…
昔、工場で働いてくれてた従業員の人達…


私には、懐かしいお姉ちゃん達。

私が小さい頃、よく可愛いがってもらったなぁ…

本当に懐かしさ溢れる再会です!


みんな、遺影の写真を「奥さんらしいね」と誉めてくれました!

やっぱり、みんなが知っている頃の母を選んで良かった!



お葬式も滞りなく終わり、最後のお別れです。


私は、スタッフやユーザーさん達も来てくれていたので、
「ウルズで綺麗にお化粧した母の顔を見てあげて。」とお願いしていたので、皆さん残ってくれていました!


母の友達もみんな、残ってくれて、お管の蓋を開けるまで、ドキドキでしたが…


本当に母は、微笑みながら眠っていました(^-^)


みんな、
「こんな綺麗な仏様見た事ない!」と言ってくれ、私は、フィナーレにホッとしました(^^;)


今回、母も最後に自分の「死」を通して、多くの事を教えてくれました。


何より、人の厚情というものを深い感謝と共に学べました!


お越し下さった皆様、銚電を下さった方々、ご心配下さいました方々、本当にありがとうございました。


心から御礼申し上げます。
  


Posted by 梓ママ at 01:37Comments(16)

2010年10月09日

ご心配お掛けしました…










久しぶりのブログ更新です(^-^)



母は、10月2日、20時37分、病院で、静かに逝きました。



皆様からの暖かい励ましのお言葉やメール、また、ご心配いただいた事、本当に心から感謝致します。m(_ _)m



今回の入院は、10日あまり。


肝臓の上部にある胆管の管の辺りにできた癌で管が詰まり、老廃物を流せなくなるという症状でした。


自覚症状がなく、発見しにくい部位なので、母の場合、10年以上前からあったそうです。



最初に入院した時から、もう手遅れと言われていました。


そのまま病院で亡くなる可能性も高い…と…


今年1月でした。

私は、入院中、できる限りの事をし、医療との相乗効果で、3月には、食事も普通にできるようになり、退院できました。


…それから6月に入院するまで、母は花見や、散歩や、デイサービスで歌を歌って楽しく過ごしました(^-^)


認知症もありましたが、私や家族の認識ができ、いつも優しく、ニコニコ笑っていました。


介護以外は、手の掛からない優等生の患者で、みんな、このまま病気が治るのか!?
と思った程でした!

母は、毎日、父に散歩に連れて行って貰い 愛犬と共に楽しい毎日を送っていました。


…忘れた頃に、発熱。

再び、6月に入院。
この時も、奇跡的に二週間程で復帰しました。



また、家で近所の人達と楽しく過ごしたり、再びデイサービスに通う事ができました。(^-^)

お友達もでき、最後に入院した時は、


「早く元気になって、帰ってきてね」

と、手作りのペーパーフラワーを戴きました。


9月21日、三度目の入院。

この間、食事は取れず、点滴だけでしたが、母が好きだった歌を唄ってあげると喜び、帰る時も無理を言わず、相変わらず優等生の母でした。


…けれど、
入院、三日目。
点滴内容物が合わなかったのか!?

急変!
お見舞いに行った時は、観察室に入れられていました。


ここに入ったら、もう覚悟しないといけないな…

私は、もう構わず、プレートを何枚も、入るだけ母のベッドに敷き詰めました!

オシッコがなかなかでず、尿毒症を起こしたらおしまいなので、母の大事なところにも置きました。


…顔は苦しさで歪み、死相が漂っていました…


弟にも会いに来るよう連絡。

「今度こそ、もう駄目かもしれやんで」とみんな覚悟を決めました!


点滴も止め、酸素を鼻から注入。

私達が居る間にも、三回も大量の吐血をした母の顔は、一気に老婆のようになりました。


プレートを置いて暫くして、母は、大あくびを三回しました。


ああ‥脳に酸素を送っているな…


少し、唇は湿らせてもいいとお許しが出たので、綿棒のデカいので、唇を湿らせていると、母はその棒を噛んで、染み出た水を飲みました!

「スゴい!
お母さん、生きようとしてるんやな。」


心の中で、もうしんどいなら逝ってもいいよ…って思った事恥じました!


それから、母は、また血色を取り戻し、少し元気になり、オシッコも良く出るようになりました。



主治医も、元気を取り戻した母の点滴を見直し、カリウムが入った一般的な点滴では、母の心臓に負担がかかり、カリウム数値も5 と、7まで上がると心停止を起こす状態だったので、点滴も母に合った物に変えてくれました。


こうして、母は、まだ予断は許せないものの、一般個室に移りました。

それから、一週間程なんとか命を繋ぎ、私達家族や身内の人達に逢い暫く時を過ごしていました。


10月2日、夜中、病院からの電話でみんな駆けつけました!

また、多量の吐血をし 苦しそうでした。


その日は、土曜日で母の周りに子供、その妻子、孫達全員、集まる事ができました。(^-^)


母は、幸せだったと思います。


みんなに見守られながら、永遠の眠りについたその顔は、苦しさなく、少し開いた唇が微笑んでいるようでした…
  


Posted by 梓ママ at 16:59Comments(18)