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2010年11月15日

満中陰












昨日は、母の早めの49日の法要でした。



実家に親戚が集まり、賑やかに行われました。(^-^)


その後、

送迎バスで大池遊園へ行き、みんなでお食事しました。


…なぜ、父がこの場所を選んだかというと…


生前、母や家族と桜のお花見に行ったり、貴志川方面へ買い物に行ったりと…


思い出深い場所だから…と言ってました。


「大池荘」


今は、建物も古くなってますが、当時はお花見シーズンは、スゴい人手で、ここからの眺めは、最高の贅沢でした!


大池にボートを浮かべ、沢山のカップルや家族連れが賑やかに遊んでいました。


…父は、ここで、
韓国民謡の「ありらん」を唄うと決めていました。



この歌の意味は…

ある若者が恋人に、出稼ぎに行く時、


「僕はここに居ても、良い暮らしができないから、都会へ行くけど、お前はここで待ってるように。」
と、ありらん峠を越えて出て行った…


という後に残された恋人の悲しい歌です。


韓国の人には、とても懐かしくみんながよく知っている歌で母も好きだった歌です。



父の両親もこの歌のように恋人ではないけど、祖国を離れ、二人で北朝鮮へ渡ったのでした…



そこで苦労の末、水産業を立ち上げ、商売を成功させました!


…けれど、戦争が始まり、命からがら日本へ引き揚げて来ました。


…6人の子供を産み、一人は麻疹で幼い時亡くなりましが、5人の子供と両親2人で、当時一番下の叔母は、乳飲み子でしたが、奇跡的にみんな残らず無事に引き揚げて来られました!




最初、ロシアの艦砲射撃を海辺で受け、海水浴をしていた長女を母(祖母)が呼びに来て 取る物もとりあえず、すぐ逃げ出して来た!

というのです!

長男や他の男児も別々に 家族が散り散りバラバラになりましたが、みんな山へ逃げ、奇跡的にそこであったそうで、順番に赤ちゃんである叔母をおんぶして、苦しみの逃避行は始まりました。


女性であることが判らないように髪を短くし 顔に炭を塗って男の身なりで命からがら逃げました!


父は発疹チフスにかかり、のみやシラミと戦いながら、いつ命を落としてもおかしくない状況、引き揚げ船を目指してひたすら歩きました。


祖母に聞いた話では、前を歩く人のおんぶした赤ちゃんがずり落ちるのを見ましたが、その人はあまりの疲労に子どもを拾わず、そのまま行ったそうです…


よくぞ、乳飲み子を含む子ども5人を無事揃って連れ帰ったものです!


五木寛之さんも、後年話してましたが、引き揚げ船に乗せてもらうのも、女性を慰みモノに差し出すなど、酷い事があったそうですね…



…こんな状況で父の同級生達も日本全国へ別れ別れで帰ったそうです。


その同級生達と二十年位、同窓会の交流を続けて母も一緒に出掛けてましたが、たまに級友と逢える懐かしさは、ひとしおで、その度に
「ありらん」を唄う父の歌詞を聞いて母も歌が好きになったといいます。(^-^)


…北朝鮮での想いで話を聞き、一生懸命声を絞って唄う父の姿に、皆、胸を打たれました…


…はえが一匹、次から次へと人の肩に止まり、回ってましたが、母のような気がして、追い払う気になれませんでした…
(^^;)



どなたかのブログに

お墓でお経をあげているお坊さんの方にくもが近づいて来て、それが亡くなった方のような気がしてた…と書いてるのを読んだ事があり、もしかしたら…?


でも、お母さんもっとましな物になってよ…(^^;)


と思いましたけどネ…(笑)


急ごしらえだったんでしょうね。


…とても、父らしい良い法要だったと思います。(^-^)  


Posted by 梓ママ at 18:06Comments(4)